釈尊一代記 

 

釈迦……釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)の略。仏教の開祖。釈迦は種族(釈迦族)の名、牟尼は聖者、仏は仏陀で真理を悟った人。釈尊。BC463〜383(旧説、BC566〜486) 

 ◎一代を大別すると、……

    1、生誕(せいたん)

    2、成道正覚(じょうどうしょうがく)……悟り。

    3、初転法輪(しょてんほうりん)……初めて法を説く。

    4、入滅(にゅうめつ)……涅槃。

 

1、生誕 ネパール・ルンビニ

 @家 系

 インドに近いネパール南部、シャカ族の王・浄飯(スッドーダナ)と摩耶(マーヤー)夫人の間に生まれた。4月8日。釈迦の姓はゴータマ、名はシッダールタ。七日後に母は病死。叔母の摩詞波闍波提(マハーパジャーパティー)に育てられる。後に耶輸陀羅(ヤソーダラ)と結婚し、一子ラーフラを設ける。

 A生 活

 王子として、何不自由の無い裕福な生活を送るが、たとえば、住居は、冬の宮殿・夏の宮殿・雨期の宮殿と、季節々々で変わり、歌舞音曲を楽しみ、着る者、その他、使用する物すべては最高級品であった。 

 B人生の問題

 この様な中にあってそれに浸ってしまうということはなく、シカムニは人生の問題、生死という事を真剣に常に考える様になった。それついて次の様な話がある。

「四門出遊(しもんしゅつゆう)」……シャカムニは東西南北の4つの門から外に出て、世の中の生活、生老病死を見て、世を厭うということ。

 ※4つの門……老の門・病の門・死の門・出家の門。

 この四門出遊の話は世の無常を感じ、

 我れ、老人を見て我が身に来るべきを知り……青春の我(が)を捨て、

 我れ、老人を見て我が身の病むべきを知り……健康の我を捨て、

 我れ、死人を見てやがて我が身の死の襲うべきを知り、……生存の誇りを捨て、

 ※青春・健康・生存の3つのおごり・たかぶりをいましめたもの。

 この様にシャカムニは誰の身にも襲ってくる生死について深刻に考え、世の真実とは、真の有意義な生活とは、真理とは、常に自問した。スッドーダナはシャカムニのふさぎこんでいる様子を手をこまねいて見ているわにもいかず、ヤソーダラを妃とさだめた。結婚後、一子ラーフラが生まれたので、遂にシャカムニは真理を探求に出家(沙門)した。 

 C出 家
 当時のインド社会は、それぞれ独自の修行者がいて、自ら教えを唱えたり、集団を作ったりして、徳否定論・唯物論などがあり、それらは頽廃的・破壊的であった。シャカムニは「善を求めて」出家したのであって、頽廃的・享楽的・破壊を否定して、倫理を尊重し、非常に建設的なそして積極的な活動的な宗教に向われた。
 シャカムニはまず文化の中心地であるインド・マガタ国の王舎城に向かわれ、そこで最初に座禅をくんで瞑想し「無所有の処」を得ている師の弟子になり、速かにその境地に達した。*無所有の処…この世の中のものは、すべて自分に属するものがないという境地。
 次に600人位の弟子達を導いている別の修行者の所へ行って彼の唱える「無念無想の境地」を体得してしまった。
 しかしこれら禅定の修行によっては真の悟りは得られない事を知った。禅定からさめて普通の精神状態にもどるとただちに人生に対する不安や、老病死に対る心配が頭をもちあげてきた。
 次に苦行によって修行し、そして真理を求めた。端座したまま何時間もじっとしていたり、また断食を何日も続けるという風でした。シャカムニは命がけの苦行を六年間続けた。しかし心の平静は得られなかった。
 そして“昔の修行者でどんなに激しい苦痛をうけたものがあったしても、自分ほど徹底した最高の苦行をしたものはなかった。現在の人でも自ほどの苦行を実行した人はただ一人もいないと他の人々もいうし、自分でもそう思う。未来にも自分以上の苦行をする人はおそらくないだろう。これほどの苦を実践しても、苦行による実践では私の求める真理には到達できないことが判った。苦行という方法は「さとり」へ向かう道ではないのだ”
 この様なわけでシャカムニは苦行の実践によって真理を悟ろうとした事を断った。
 

2、成道正覚 仏陀伽耶・菩提樹下

 
 それら(座禅・苦行)すべてのものは、真の悟りに至る道でないと知って、そらを放棄したシャカムニは、苦行林を出て身を清め、衣服を整え、仏陀伽耶へ向かい菩提樹下に座した。
  そして……たとえ嵐になり身体の血はかわき、肉がただれ、骨が砕けても、この目的(真理を悟る)を達成するまでは、座禅のための修行、苦行のための修行でなく真理を悟る座禅・瞑想であった。以前は肉体を苦しめるという方法であり、手段であることが、そのまま目的であり理想の境地であるとされてしまっていたから、苦林の断食や苦行を捨てたのであった。ここに目的としての苦行、理想としての苦行はなく、真理を悟るための方法・手段としての本来の意味での、真理を悟るまでは絶対にあとえはひかない、という一大決心のもとに菩提樹に不動の座をかまえた。私達はつぶさに知ることは出来ないが、その時には、いろいろ疑惑や動揺が押し寄せて来たことであろう。
 このような妨害にすべて打ち勝ったシャカムニは、やがて、とうとう得るものを得ることが出来た。時に35歳(30歳)12月8日。
 
       “シャカムニは真理を悟ったのである。” 
 
 シャカムニの獲得した真実とは、私達のように生きた人間を土台とし、中心とし、私達のような現実の人間の人間性の進展を基礎とし、人間の人格向上をめざし、人生苦に打ち勝ったところの境地であります。
 その理法(ダルマ)とは「縁起」とよばれるもので、それは……この現実の世界にあるところの、手に触れ、目で見ることのできるもの、または手に触れ目でみることのできないものも、それらあらゆるすべての一切は、みなある契機によって生まれ、ある契機によって滅びてしまうのであり、それはお互いに関係しあい、ともに助け合って、かりに成り立っている。……→あらゆるもの事や、すべての出来事が、みな私達の思うようにならないのは、この世のすべてのものごとや、あらゆる出来事がすべて、みな常に変わりつつある。そして、それはこの世のあらゆるものに実体はない、という事である。
 この基本的な理法(縁起)から、いろいろな教えが展開される。
因果の理法→三法印・中道・実相。→四諦・十二因縁・六波羅蜜。→小乗・大乗・実大乗(法華経)。方便→真実
 
3、初転法輪  鹿野苑(サールナート)
 @初めて法を説く
 シャカムニは真理を説くにあたり、この真理は非常に微妙で深遠であるので一般の人には容易に理解しがたいと思われた。
 それで最初に「無所有の処」に到達している、かっての師の事を思い出した。しかし彼はすでに死んでいる事が知れた。
 次に無念無想の境地を獲得している師を思い出したが彼もすでに死んでいた。
 それでかって苦行を一緒にしていた五人の修行者の所へ向かった。五人の行者達はシャカムニがやって来るのを見ると仲間同士すぐ話し合った。……“シャカムニは苦行を捨てて堕落したのである。その様な人に挨拶するのはよそう”と。ところがシャカムニが近づくにつれて、五人の修行者達はいま自分達が言った事を忘れたかのように、いそいそとシャカムニを出迎え、足を洗う水を用意した。シャカムニの表面に現れた人格に無意識的に打たれたのか。
 だが、シャカムニの説く真理を教えを聞こうとしなかった。まだ苦行を捨た事を堕落と思っていたからである。
 そこでシャカムニは、“昔の友である五人の修行者よ。みなさんは以前の私を知ているでしょう。私をよく見て下さい。みなさんは以前の私にこの様な輝きがあったと思いますか” 五人の修行者は、この様に言われて初めてシャカムニが真の意味の真理を悟っていられることをはっきり知った。
 この様にして最初の五人の修行者に教えが説かれ、ここで初めて仏教が成立し、真理が活動し始めたのである。これを初転法輪という。→四諦の法門・八正道
 
 シャカムニは比丘(弟子)達にこの様に話された。
 比丘達よ、私は人天の世界のすべてのわなから免れた。汝らも、また人天の世界のあらゆるわなから自由になった。比丘達よ、いざ遊行(伝道)せよ。多くの人々の利益と幸福のために。世間を憐れみ、人天の利益と幸福と安楽のために。一つの道を二人して行くな。比丘達よ、初めも善く、中も善く、終りも善く、理路と表現とを具えた法を説け。また、まったく円満かつ清浄な梵行を説け。人々の中には、汚れ少ない者もあるが、法を聞くことを得なかったならば堕ちていくだろう。聞けば法を悟る者となろう。比丘達よ、私も法を説くために、村に行こう。……→遊行(伝道)、人々の利益と幸福のために。……→45年間(50年間)
 ※主な弟子・檀家たち
 迦葉兄弟(バラモン僧)とその弟子1000人・マガダ国王ビンビサーラ(竹林園寄付)・舎利弗 ・目連とその弟子250人・大迦葉・大富豪須達多(祇園精舎・東園精舎寄付)など。
 シャカムニの教えはあらゆる階級を打破するものであった。いままであったカースト(階級制度)[僧侶・貴族・庶民・奴隷]という差別を認めず、平等も説いた。
 
 A50年間の説法内容(悟りを開いてから、入滅までの50年間の説法内容)
 インドのサンスクリット語等から漢訳された経典類は一切経(大蔵経)と呼ばれて時代によっても違いがあるが、1076部(5048巻)あると言われている。それら膨大な経典類をシャカムニが説かれた50年間に大別して別けると、以下のようになる。
 
  1)華厳時(権大乗経)…菩提樹下でお悟りを開いた直後の説法。…… 華厳経
  2)阿含時(小乗経)……鹿野苑での12年間の説法。…… 阿含経
  3)方等時(権大乗経)…約16年間の説法。…… 阿弥陀経、維摩経など
  4)般若時(権大乗経)…各所で約14年間の説法。…… 般若経など
  5)法華・涅槃時(実大乗経)…霊鷲山で約8年間の説法。……
           無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経・・・涅槃経
 
4、入滅 クシナーラの沙羅雙樹(サーラソウジュ)の下
 
 毘舎離城を後にして遊行をつづけ、途中の村で鍛冶屋の子、純陀の供養を受けた。そのごちそうの中のキノコらしい物にあたって腹痛に襲われ、死ぬばかり重い病にかかった。しかし悩み苦しみの境地の人々を救うために、病の最後の力をふりしぼって、“さあ、クシナーラ城へ行こう” そして、クシナーラの沙羅雙樹の下で亡くなられた。時に80歳2月15日。
 
    もろもろの欲を離れ、心安らかに、
    あたかも灯火の消えうせるように、
    お亡くなりになられた。
                                    END
※久遠の命(永遠の仏様)
 
 法華経の壽量品では、……
 『而(しか)も実には滅度(めつど)せず。常に此に住して法を説く』
 『常に自ら是の念を作(な)す。何を以てか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身成就することを得せしめんと』
 歴史上の仏様は今から約2500年前に亡くなられたが、仏様のみ魂は、宇宙に遍満していて、いつも私達を見守っていて下さる。
 
              参考資料・釈迦の生涯(宝文館)・仏教百話(筑摩書房) 

○○サークル:トピックス

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